迷子になった。


 瀬人にあれだけ言われていたのに、瀬人を見失った。見えるのは人ごみだけ。人の流れがどんどんと速さを増し、を流していく。

 どうしようもない不安が、心にまとわりつく。知らない人々と知らない場所の中に、このまま一人取り残されてしまうのではないかと思うと恐くなる。

 は手近なベンチに座ると、小さく身を縮めた。迷子のときは下手に動かないほうがいいと聞いたことがある。だがその場にとどまると、不安はさらに増大していく気がしてならない。

 17歳であるのに、迷子になって泣くのはみっともない。それはちゃんとわかっているのに、は目から涙があふれそうになるのを感じる。

 とめどなく零れ落ちる後悔の言葉は、胸に落ちてはむなしく響き、の孤独感をさらに肥大させる。手のひらが、白く凍りついた息とともに冷えていった。


「ねぇねぇカノジョー、一人?」


 が不安げに空を見上げたそのとき、軽薄そうな男がに声をかけてきた。それどころではないが、なにも言わずに立ち去ろうとすると、男はなれなれしい様子での手首を握る。


「一人でしょ? 俺と遊ぼうよ」


 は無表情で男を見た。触れられた手首の辺りから、汚いものが自らの肌に侵食してくるような、おぞましい感触を感じた。それはただの気のせいだと自らに言い聞かせるが、どうしても不快感を拭いきれない。


「……せ」
「ん? オッケーってことでいいワケ?」


 かすれた声で何かをつぶやいたの言葉を、肯定であると受け取ったのだろう。男は強引に彼女の手をひっぱると、どこかへ連れて行こうとした。 

 その瞬間、の目に強い光がよぎった。無表情から一転、強い拒絶の言葉とともに怒りの表情が浮かび上がる。


「離せ、下等生物」


 男は驚いた表情でを見た。


「しゃべるな動くな息するな、汚物が」


 一瞬男は面食らったような顔をして、すぐにふるふると怒りに肩を震わせる。美しさの片鱗も無い。ただただ無様なだけである。

 の中に、感情が踊り狂う。とめどなくあふれる感情の波を、うまくおさえつけることができない。


「このアマ! いい気になりやがって!!」


 男はその態度に苛立ちを隠せず、の胸倉をつかんだ。


「さっきからせっかく俺様が誘ってやってるのによォ!!」


 胸倉をつかまれているというのにまったく動じないは、ゆっくりと握り締めた。もしこれ以上自分に危害を加えようとするならば、いっぺんの容赦もせずにこぶしを男の腹に叩き込むつもりだ。


「てめぇいっぺん死」
「その手を離してもらおうか」


 男の平手打ちがの頬に当たる直前。涼やかで、いい意味で傲慢な響きの声が、男の動きを止めた。


「せ、瀬人…!!」
「余所見などせずついてこいと言っただろう?」


 切れ長の青い目が、を馬鹿にするような色をもってを見た。皮肉げにゆがめられた唇、自信があふれ出すようなその姿。

 まぎれもなく海馬瀬人だ。瀬人の姿を認めたとき、は胸が熱くなった。


「そこの男」


 瀬人はから視線をはずすと、の胸倉をつかんで離さない男を見据えた。男は瀬人の尋常ならざる雰囲気と威厳に、びくりと身を震わせる。


「そいつから手を離せ。俺の連れだ」
「ッ…!」


 男はを乱暴になげすてると、瀬人に殴りかかってきた。上手く受身を取れたから良かったものの、一瞬視界が反転した。


「甘いぞ!」


 瀬人は華麗な身のこなしでそれをかわすと、男の顔に蹴りを入れた。


「な、なにしやがる!」
「幸い俺は機嫌がいい」


 瀬人はにやりと笑うと、男に指を突きつけた。


「立ち去れ、そうするならば許してやろう」


男はその言葉に無様に走り去るが、瀬人は一瞥もくれずにの元に駆け寄ってくる。


「怪我はないか」
「大丈夫。それより、ごめんなさい」


 申し訳なさそうに頭を下げたに、瀬人は小さく鼻を鳴らした。起こっているのだろうかと危惧したが、それは違うとすぐにわかった。


「謝るな。それより手を貸せ」


 素直に瀬人の言葉に従ったは、すっかり冷たくなった手を差し出した。すると瀬人は一切の躊躇もなにもなく、の手に自らの手を絡める。


「これならいいだろう」
「え、どういう」
「これで俺と貴様は一緒だ。迷子になることなどあるまい」
「そりゃあ、そうだけど」


 その手は暖かく大きく、の手を優しく包み込んでくれる。その手の感触は安心を与えてくれた。

 瀬人は何だかんだ言って優しい。は常々そう思う。それはにだけ見せるものなのか、みんなに見せるものなのかは解らないが、少なくとも今の瞬間はだけに向けられている優しさだ。
 

「嬉しくないのか?」


 はゆるゆると首を振った。それを見た瀬人は当たり前だと言いたげな、不適な笑顔を浮かべた。 


「瀬人」
「なんだ」
「そのさ、瀬人の手ってあったかいね」


 がそう言うと、瀬人はかすかに頬を染めてを見た。事実を述べただけなのになぜそこで頬を染めるのかと思ったが、は何も言わずに瀬人の手をにぎった。


「こんな手ぐらい、いつでも貸してやるわ」


 瀬人はそう言うと、の手をひいて歩き出した。瀬人の背中に隠れて、は小さく笑った。



【あとがき】
社長夢。gdgdですね。
甘め? うん、多分甘め。